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コラム(今月の言葉)|Column
人生のいたずら それもまた人生。 (セラヴィ)

ふと父のことが思い出された。父は43歳で私の誕生日の翌朝、亡くなっていた。私はもう父の年齢をとっくに過ぎている。
父の記憶は、12歳のまま止まっている。母から聞いた話だが、スポーツ万能でゴルフのハンディはシングル、ロータリークラブでジャズバンドを結成しドラムを担当していた(写真があった)、服はオーダー、お酒大好き、とてもおしゃれな人だった・・・。

父の実家は印刷会社で長男が二代目社長として継ぎ、次男坊だった父は、戦争から戻ってすぐに親戚に跡取りがないことから、養子となり養子先で母と結婚した。その当時は、養子縁組は割と当たり前のように行われていたようだ。

父は、定職を探したのだと思う。母から聞いた話だが、その当時銀座みゆき通りと並木通りが交差する角にあったブテイック&カフェの「ジュリアン・ソレル」に就職することを決っていた。戦争のにおいがしない、そして華やかな職場が気に入ったに違いない。

ジュリアン・ソレルはスタンダールの小説「赤と黒」の主人公の名前で、この名前を付けた「ジュリアン・ソレル」は当時の銀座で一番お洒落な若い人達が集まるお店とよく言われたようだ。きっとここで仕事をしたかったのではないかと思う。


ところが、父が結婚してすぐに兄である長男が急死した。父は養子先から旧姓に戻り家業である印刷会社を継ぐことになって、28歳で三代目社長になった。働きたかった「ジュリアン・ソレル」には行けなかった。人生のいたずらだ。自分の進みたい道を諦めるしかなかった。小さい時の記憶だが、付き合いと言いながら毎日お酒を飲んで帰ってきた。もしかすると、父は印刷会社なんてやりたくなかったかもしれない。
そして社長になって15年過ぎて、父も急死した。

これもまた人生。確かにそうだが、父の悔しい思いがなんだか湧いてくるようだ。

人生のいたずらというか、転機を変えられないものと受動的に生きていくには、「これが人生だ」と言い聞かすことかもしれない。でもどうせ生きるのなら、転機を自ら生みだし役割を認識して能動的に生きていきたいものだ。
そんな世界は、自分の知らない自分と出会えるのだから。そこで、もし失敗したとしても、『それもまた人生だ』と呟き、見えない未来を突き進んでいきたいものだ。
おやじ〜!親父の分まで能動的に生きてきたよ。




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